記憶と感情の関係②

前回、「記憶」と「感情」について書きました。

自分ではコントロールできない自然現象への

「本能的な恐れ」

「こうなって欲しいという希望」

「こう言ってくれたら嬉しい」

「こうだからしょうがない諦める理由」

とういう現実・事実に対してポジティブかネガティブかという感情のラベル次第で

晴れ男、雨男といった心理的な現象になるというお話しです。

天気が晴れた、雨が降ったというのは単なる自然現象で

そこに意味はなく、事実に対してどんな「気持ち」が

くっつくかによって

「俺は晴れ男だ!」

「私は雨女なんだ…」

「彼って雨男に違いない」

「あいつが来たから雨ふっちゃったよ!」

と自分ではどうしようも出来ないことを

「晴れ女」の○○がくるからと希望をもったり

俺は「雨男」だからとどうしようもない気持ちを

整理したりとする部分があります。

じゃあ晴れ男、晴れ女じゃなくて

雨男、雨女はネガティブな人が多いのですか…?

いい質問ですね!

確かに都会に住んで都会で仕事をしている人はそういう

方が多いはずです。

「あ~突然の雨でスーツが…

得意先にこんな姿でいくのかよ…」

「梅雨ってどんより気持ちが暗くるんだよね」

「洗濯物が乾かないじゃない…」

雨の日は困った事が多いですよね。

でも、同じ雨や梅雨も農家の人は少し違ってきます。

お米は芽を出した苗(なえ)から田んぼに田植え(たうえ)をした時期は

水が必要なので梅雨なのど雨期がないと日照りになり苗は枯れてしまいます。

だから雨が降ってもらわないと都会と違って困ってしまいます。

「このまま雨が降らないと田んぼの米が…」

「神様なんとか雨をお願いします…」

雨乞いです。

同じ事実でもそこにはたらく心理的な感情は違ってきます。

気持ちが違ってくるのですね。

現実と気持ちを分けて考えると、起きている現象に

ポジティブな感情だったり

ネガティブな感情にするのも自分で決めていると

冷静に気づく事ができるようになります。

自分で決めたことは自分で○○できる。

 

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